日本の「アジール」を訪ねて: 漂泊民の居場所(筒井功)

どこに住み、暮らしたのか。戦後まだ、いたるところで、乞食、サンカ、病者、芸能民、被差別民などの漂泊放浪民が移動生活をおこなっていた。かれらが、社会制度をはなれ、生活のよすがとした洞窟などの拠点「アジール」を全国に訪ね、その暮らしの実態を追うノンフィクション。もうひとつの戦後昭和史の貴重な記録。

なのだから、被差別民の本質をどうとかいうのでなく、あくまでフィールドワークの中で得たルポを示した、ということなのでしょう。 三角寛なんかへの批判についても、伝聞ではありながらも自身のフィールドワークから得た情報を基に推測し、おこなっているわけであり、無闇感はなく、納得のできるところではあります。

しかしながら少なくともこの私自身は外野の人間であり、傍観するだけですから、盲目的に入り込んでどうこうと言うことはできません。 また、こういう流民というものはもうおらず、おったのであったって随分と昔、50年くらい前にはいなくなったそうなんで、そんな昔の話をフィールドワークで掘り起こすという業績はなにはなくとも評価しなければならないかとは思います。

今は便利な時代で、国土地理院の地図が掲載されていれば、それを基にGoogleMapsで探せちゃい、航空写真(衛星写真か)でなんとなく見られちゃうんですもん。 あー今では人家とかそばにあるけど、道も整備されているけど、昔はとんでもないところだったんだろうなぁって推測なんかしながら。


赤坂檜町テキサスハウス(永六輔・大竹省二)

まだ焼け跡が残る時代、東京・檜町にテキサスハウスと呼ばれるアパートがあった。そこには写真家の大竹省二はじめ女優の草笛光子、ジャズ歌手の笈田敏夫など戦後の芸能史を飾った錚々たる顔ぶれが住んでいた。当時、放送界で仕事を始めたばかりでこのアパートに出入りしていたのが永六輔。いま、大竹省二の写真とともに、熱気に満ちた「夢多き時代」を振り返る。

東京の檜町というと檜町公園のあるあたり、檜町公園といえば長州毛利家下屋敷跡っていうか防衛庁があったところで防衛庁が移転した折には私は東京にはおらず、その後なにになったか気にもしていなかったんですけど、今調べてみたら東京ミッドタウンになっていたんですねここは。 と、それはさておいてテキサスハウス(花岡アパート)は東京ミッドタウンの北西にあったそうで、赤坂通りからみると乃木會館とかジャニーズ事務所の道挟んで向こうの路地のどん詰まりにあったのだそうで。

で、この本はそのテキサスハウスにまつわるいろんな話「だけ」を記している(トキワ荘を仮想敵にして話をすすめるという大変興味深いベクトルではありながら)ものかと思いきや、後半は大竹省二さんの若い頃(上海!)の話になったりと、ちょっとした看板に偽りあり状態なんではありますが、丁々発止がおもしろくてついつい読み進めてしまった次第。

本は最初、秋山庄太郎の死が述べられているんですけど、そもそもこの本は2006年の発売で、この後も続々と関係者が鬼籍に入り、永六輔も大竹省二も今やこの世のものではないという。


村の奇譚 里の遺風(筒井功)

怪談より怖ろしいものやこと。こんな怖ろしいものや出来事、習俗の名残り、跡かたがまだ日本各地にいろいろ残っている。生涯を民俗の探索・研究についやす著者が、その折々に見聞き体験した「奇譚」を、ここに選りすぐって全十三話紹介する。

あとがきにもあるとおり、当初は別の出版社からの刊行予定であったものが紆余曲折あって毎度おなじみ河出書房新社からの出版になったという。 こまいことはあとがきを読んでいただくとして、本編も読んでいただくとして。

怖ろしいとは思うけど、怪談とはちょっとベクトルが違うような気もするけど。 あと、おもしろおかしく書いているものではないので。

マタギや風呂、産屋、安倍晴明の墓(木曽にもあったとは!)、犬神など、いや犬神についてはなんとなく予想はできたにせよ、風呂なんていうものにねぇ、こんなことはあったなんてねぇ、っていう感じなんですが、それよりなによりサンカについて、というかサンカに近い人々についてのルポに見入って(読み入って)しまいました。 文盲なので地域としてどこに居たかを看板や標識などから読み取れないという、そのことだけでも私としては衝撃的でありました(浅草と浅草橋は場所的に違うよ、みたいな)。


忘れられた日本の村(筒井功)

著者の著作を集中的に読もうと画策しているところですが、実際問題時間がとれず遅読状態。

狩猟とアイヌ語のマタギ村、出雲の阿国の「綾子舞い」を伝える北陸の芸能村、天皇の即位に麻の礼服を貢納し続ける山奥の村…限界集落など、長い歴史の残る、七つの不思議な村の探訪紀行。宮本常一「忘れられた日本人」を今に引き継ぐ民俗誌。

なんなら「忘れられた日本人」を先に読んでおくのであったと後悔しつつも、こっちはこっちでたいへん興味深く読みました。 アイヌ語と朝鮮語のくだりなんかも舐めるように読んでしまったところながら、タイミング的にはやはり麁服(あらたえ)についてなのかな。

大嘗祭で献上、麁服に使う麻の種まき 桜満開の徳島で

https://www.asahi.com/articles/ASM493DJDM49PUTB007.html

大嘗祭の麁服(あらたえ)調進準備 三木信夫さん
(語る ひと・まち・産業)阿波忌部直系 徳島の麻文化再興訴え

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40029440V10C19A1962M00/

大嘗祭で着る麻の衣服。 それがどういうわけか徳島県の美馬市というえらいところで作られるというんですよ。 なんかすごいな日本、てなわけです。


ロッキング・オンの時代(橘川幸夫)

ロックがいちばん熱かった時代の記録
70年代と今をつなぐメディア創刊物語

1972年、渋谷陽一、橘川幸夫、岩谷宏、松村雄策の4人の創刊メンバーでスタートした「ロッキング・オン」。レコード会社側からの一方通行の情報を伝えるファンクラブ的音楽雑誌と一線を画し、リスナーがミュージシャンと対等の立場で批評するスタンスで支持を集め、いまや音楽雑誌の一大潮流となった「ロッキング・オン」は、いかなる場から生まれたのか。創刊メンバーの一人である橘川幸夫が、創刊の時期から約十年の歩みを振り返るクロニクル。
ロックがいちばん熱かった時代、70年代カウンターカルチャーの息吹を伝えるノンフィクション。

おそらく誌上での著者の原稿を読んだことはないと思うし、あの岩谷宏(私にとってはJAVAの人)のそれも同じであるのは、1980年代前半に離脱したからだそうで私自身はROをその直後くらいに読み始めたからにほかならない。 それにしても一時期はよく読んだもので、rockin’onもそうだしROCKIN’ON JAPANもそうだしなにしろ本屋で買ってきちゃぁ家に引きこもって一字一句漏らさず読み耽ったものだけれど、今から思えば若さゆえ、であります。 どういうパワーなんだろう、って。 だがしかし、突如として読まなくなったものでして、なんかこういった雑誌で語られるロック(洋邦問わず)に幻滅みたいなものを感じ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではありませんが雑誌も読まなくなったといったところであります。 ただ、雑誌というものそのものを読まなくなったのではなく、例えばフルメとか、例えば夜想とかの、オーバーグラウンドじゃない方向に舵を切ったのだろうと今から思えばそうなんですよね。 若いなぁ。

ということなんで、私の知らない創刊時のROならびに著者周辺の問わず語りを読むのは新鮮であり、大変興味深く読了したところであります。