自分の立ってる場所

alt_lifeblogさんが「引く手あまた・・・とは」にて曰く、

いろんな人からいろんな話を無軌道に聞き過ぎると、自分の立ってる場所が分からなくなってしまうことも学ばなければならない。

 alt_lifeblogさんの文面のニュアンスとは恐らく違うのですけれども、共感するところがあって。

不思議な話、最も見失いがちなのが自分自身なんですよね、他人に対してよりも。 っていうのも他人に対しては基本的には当方無責任でいられるんであって、スタンスを客観視出来るという優位性が成せる技(業)とも言えそうなんですが、それだって人間のあまりに身勝手なことか...と考えるところでもありますけんどもそんなんさておいて。

それこそalt_lifeblogさんのdescriptionに「確かめるために生きていることのメモ」とあるように、私自身は「毎日がクロージング」っていう(もしかしたらdescriptionに入れたいスローガンかも?)気持ちを大事にしているんですが、要するに帰結点が見出せない事があったり、基点を忘れてしまったりする事が多くて我ながらヤになっちゃう事があるんです。

と、そんな自分自身なんですんで、他からの情報に対し、自分のスタンスの不明瞭を言い訳に簡単に「オーバーフロー!」と結論づけてしまうのが口惜しく感じる場面が増えてきてるんです。

もし私自身が決裁権者であればたとえ即決のセッティングであろうとも如何様に出来るんです。 が、そうでもない場合にもう、やきもきするのはやめようと思いました。 思いましたっていうか悟ったと「して」そうするようにしますです。

決裁する立場じゃない以上、他に決裁する人がいるんだろうから、決裁出来ない領域の人間としてその現場にいればいいんです。 んで、ビジネスチャンスがあれば「出し抜いて」しまえばいいじゃん、と。

そんな風に思った...もう週末なのね...週末。