ゼイリブ

96分しかなかったのか。 んで実際とおして観てみると、あっという間に観終わってしまう。 そういう相対性で捉えると、例のケンカのシーンは異様に長い。

1988年製作で、日本での公開は1989年だったのだそうな。 そういえば私が成人してから一人暮らしのアパート(ということにしてください)で日中だったかにテレビで観た記憶がある。 日中だったか夜だったかは実は憶えていない。 てへへ。

ともあれそういうことで自分ちでテレビで観た事があるんですけども、一回だけではなく、少なくとも二回は観ているんです。 しかも両方とも、後半の15分くらいから観るというあんばいでありました。 チャンネルを変えると「なんだこの映画!」とか「あ!ゼイリブだ!」とか反応してしまい、そのまま最後まで観てしまうというのであります。

今回初めて最初から観たんですよ。 そうかこういうストーリーだったのかってね、思って。 よくできたストーリーだと思うんですよ。 映画としてもよくできてるなぁって思うし。 ただ、低予算なのかな?っていう粗さがあるんですよね。 それがB級さを醸しだしていて非常によろしい。 サングラスの由来とかが全然描かれていないとか、細かいところを言えばきりがないでしょう。 B級映画だからかいつまんどけ!って話なんです。

サングラスをかけると世界はモノクロになる、というのが私が一番すきなところであります。 いやそりゃそうなんだけど、すごい暗示になってるなぁってね。

経済危機のせいで失業中のネイダ(ロディ・パイパー)は仕事を求めてロサンジェルスに行く。だが、彼は仕事を見つける代わりに、世界の支配階級のエリートたちが人間に偽装したエイリアンで、彼らの狙いは人間を愚かな消費主義者にしておくことだと知ってしまう。それが分かったのは、抵抗組織が作った特殊なサングラスをかけて、初めてありのままの現実を見た時だった。広告掲示板や店の看板や雑誌の表紙にはすべて「服従せよ」、「消費せよ」、「自由な思考は持つな」といったサブリミナル・メッセージが書かれていた。紙幣には「これこそお前の神だ」と書いてある。しかし、最悪なのは、サングラスをすると、誰が丸い目をした気色の悪いエイリアンか分かってしまうことだ。問題の根底は陰鬱だが、コンセプトの発見は笑いを誘う。この作品はアクションのプロットに多少の欠点はあるものの、最後にすごい結末を据えている。ジョン・カーペンターの演出は堂々とした職人かたぎの冷静さをもってなされている。1つ、忘れ難いのは、パイパーが裏通りでサングラスをかけようとしない友人と殴り合うシーンで、これが延々と続き、終わったかと思うとまた一勝負始まるのだ。ハリウッドで作られた中で最も破壊的な映画に数えられる『ゼイリブ』は1988年の大統領選前夜に公開された。最初のテレビCMは醜いエイリアンの政治家2人が討論をし、1人がもう1人を「お前はジョン・F・ケネディじゃない!」と言って非難するものだった。