ブラジリアン・ドリアン・ドリーム

アルバムの紹介文が全てだとは基本的には思うんで譲るとして、駄感少々。

Manfredo Festが誰なのか最初、というかこれを聴いてはわかんなくて、後で調べてBossa rioの中心人物だと知ったんですけれど、そう言われればそう言われたで納得できる部分も多くて。 ただBossa Rioも手元には2ndしかなくて、1stがどうだったかなぁと思いだしてみるも、やっぱりセルメンの弟分的な、マリカスの従兄弟分的な、ボッサジャズを底辺とした、女性多重スキャットなんだなぁっていうところに落ち着くんです。

だからあぁ、そうかボサ・リオの人なのかってわかったんではあります。 が、それからいくぶんの時間が経って時代が経って、変わったなぁってところがね。 あるんですよね。

ボッサジャズは進化すればシンセが導入されてクロスオーバー/フュージョンに展開されるだろうとか、リズム解釈の複雑さからプログレ的な展開も見込めるだろうと予想するのは難しいことではありませんでして、いくつかそういうバンドを聴いたような気がしたりしなかったりなんですけど、このアルバム、1976年でありまして、あーシンセがすごーく身近になってきた頃なのかなーってところで、時より聴こえるシンセが、いかにも「おーシンセおもしれー!」っていう中学生か!的な音の作り方ですごくかわいいんですよね。

んで、1曲めからリズムの取り方がプログレなんです。 んで、その後クロスオーバー/フュージョンと助成による多重なスキャットが、キビキビと流れるんです。 教科書的なボッサジャズの将来じゃないですかこれ。

いいですよとても。 仕事中のBGMにもってこいであります。

ボッサ・ジャズ黄金時代にマンフレッド・フェスト・トリオを率い名門RGE から多くの名盤を発表してきた盲目のピアニスト、マンフレッド・フェスト。1960 年代をサンパウロのボッサ・ジャズ・シーンの中心人物として一時代を築いた後、セルジオ・メンデスに招かれ渡米、そこでセルジオ・メンデス& ブラジルの弟分的バンド”ボッサ・ リオ”を結成し、共にツアーをまわる。1970 年に行われた大坂万博にも来日し、しばらくポップ・チャートをベースにした活動を行う。
その後マンフレッド・フェスト名義でブラジリアン・フュージョン・クラシックとなる作品を制作し、1980 年代以降はアメリカベースのジャズ・ピアニストとして活動、パキート・デリヴェラやバディ・ディフランコ、ベラ・フラックらと共演した他、自身のボッサ・ジャズ・グループを率いコンスタントにアルバムを発表しボッサ・ジャズ・オリジネイターとして人気を博していたが、1999 年惜しまれつつこの世を去った。

本作「ブラジリアン・ドリアン・ドリーム」はクロスオーヴァー系DJ 達のマスト・アイテムとなり、同名リード曲は数多くのカバー作品も生み出されている(イザベル・アンテナのカバーはPCD-20099 に収録済)。
しかしオリジナル作品は本人のプライヴェート・レーベルからのリリースとあって現在も入手困難、激レア盤の中でも極激レアの部類に入るアルバムだ。
極太シンセ・ベースのビートにリード・シンセとユニゾンで奏でられる女性スキャット、そしてメロウなフェンダー・ローズ。1976 年リリース