L.A. Woman

私が持っているのはボーナストラックが無い盤なんですけど、それはさておき、

71年、ジム・モリソンの死後に発表した7作目である。ジム・モリソン在籍での最後の作品となった。後期のドアーズの円熟したサウンドが味わい深く、初期作品に勝るとも劣らないエネルギーを感じる傑作だ。
まるでのっそりと動きだす猛獣のような<1>。軽快なのに重たい<2>、シンプルなブルースだからこそ彼ららしさが浮かびあがる<4>。やけっぱちの病んだロックンロール<5>。不気味な<6>。唯一安らぎを感じるような<7>。ジョン・リー・フッカーのカバー<8>。刑務所でリンチを待つような切迫感の<9>。ほか、ジムの最期を象徴するような名曲<10>などを収録。

当然言われているのでしょうが、

水晶の舟に乗った蜥蜴の王がバイクに乗って嵐と共に消えゆく

ようなジム・モリソンの人間像をいつも思い浮かべます。 というのも、前者は1stの名曲であり、後者はこのラストアルバムのそれだからであり、両方共が私のDoorsのベスト2なお気に入りだから。 どうも無理矢理に繋げてしまうのかも。

それにしてもこのラストアルバムは聴き手を選びます。 いきなりファンクな雰囲気の曲から始まるんですもの。 Doorsのパブリックイメージからはかけ離れた驚きが、聴いていて不快に変じさせるのを私は特に否定はしたくありません。 それは別に難しい感覚ではないでしょう。

確かにポップなアルバムではありません。 しかしながら初めてこれを聴いた時から随分と経って聴き直してみると、特段ポップである事が必要十分条件なのか、と気付かされます。 他に聴くべきポイントがあるのではないか、と。

それは聴いてみないとわからないですね。 それよっか三十路にならないで逝ったんですねぇジム・モリソン。 そこに注目したいです。 30前でこれだけの詩的世界観を構築するなんて。 ちなみに拙宅では私もアカネも、出会う前にジム・モリソンの詩集を所持してまして、案外それが付き合う理由だったりするんですよね。

最後の曲はあまりにいとおしい。