日朝間で拉致問題を打開できない理由

MSN産経ニュースの記事より、というかなんというか。

「当時官房副長官だった安倍晋三前首相を中心に(拉致被害者を)返すべきでないと決めたことが日朝間で拉致問題を打開できない理由だ。返していれば『じゃあまた来てください』と何度も何度も交流していたと思う。そこが外交感覚の差だ」

外交感覚というか、もっと違う部分での差じゃないかと思うんですが、ともあれこの辺の発言に対して、家族会や救う会から抗議があったそうです。

「5人が北朝鮮に戻されていれば『自分の意思で戻った』と言わされたあげく『拉致問題は解決済み』という北朝鮮の主張に利用されたであろうことは少しでも外交感覚のある人には明らかだ」

それにしても北朝鮮の総書記をして「天皇陛下みたいなポジションにいる人物だ」と評する感覚が日本人の政治家から出るって言うのは不思議としか言いようが無いもので、親朝なのは構わないとしてもどちらかと言えば政治家の発言ではないようにも思いもし、拉致被害者や関係者...というかこの問題(事件)への認識が甘いとしか言いようが無いんじゃないでしょうか。 外交はともあれ、「感覚の差」が見事に露呈されているような。

ちなみにその政治家のサイトにて弁明がとられており、

  1. 拉致という犯罪を犯した北朝鮮から、「日本は約束を守らなかった」などといわれてはならない。日本人の誇りを大切にすべきである。
  2. 北朝鮮が拉致を認めて謝罪したあの時、北朝鮮はアメリカの攻撃を恐れていた。だからこそ、一気呵成に交渉を進めて、拉致問題の全面解決を図るべきだった。しかるに、北朝鮮に「日本は約束を破った」という不信感と口実を与え、その後の交渉が途絶える一因を作ったと考える。

邦人拉致という以前に国家間の約束が勝るという論法は間違ってはいませんが、そこに拉致被害者の立場が見えなくなってしまった時点で国(日本)としての存在意義のようなものもが曖昧になり、翻って国家間の約束というものすら曖昧になり、単にイニシアチブを向こうに手渡す結果になったのではないでしょうか。 その時その論法は成立したままにはならないでしょう。

そもそも拉致被害者を「返す」とは何事だろうかという話です。 ちょっとアメリカあたりに旅行に行って帰国したんでまた行く、というのと大きく違うのは、「拉致」という自分の意思での物理的移動ではなく、戻る保証もないという極限的な状況だったという事じゃないでしょうか。 戻れました、でも国家間の約束ですんで「返し」ます、っていうのは何なんだろう。 国家間で自発的に拉致を続行させる、という意味なのでしょうか。 「返す」という意味がわかりませんが、少なくとも「返す」という意味においても「返す」必要がどこにあるのだろう。

相手が国交の無い北朝鮮だという認識が甘い...というか無いのだろうか。