ドレミファ娘の血は騒ぐ

もともとはポルノ映画『女子大生・はずかしゼミナール』として制作されたが、一般映画として再撮影、再構成され1985年に公開された、黒沢清監督の劇場用映画第二作。
高校時代の先輩・吉岡を慕って田舎から家出し上京した秋子(洞口依子)はさる大学に侵入するが、そこでは堕落したキャンパスライフを送る学生や、奇妙な平山教授(伊丹十三)たちがゆらゆらと生息していた。吉岡は軽薄なダメ人間と化しており、絶望した秋子は帰郷しようとする。そんな彼女に平山が“恥じらい”に関する実験をすべく声をかける。
作品のタッチは自主映画風の映像・演出が目立ち、その青臭さがいささか鼻につく。これが映画デビューの洞口を愛でるように捉えたカメラがエッチ。万田邦敏、塩田明彦、篠崎誠といった、後に監督デビューする才能たちがスタッフとして参加している。

・・・という映画、っていうことで終わらせてしまいそうな。

黒沢清監督作品を意識して見た事が無いような気がするんですけど、これは意識して見た初めての作品となります。 上にあるようににっかつロマンポルノとして制作されながらも上層部に受け入れられなくてお蔵入りとなり、その後ディレクターズカンパニーの作品として撮り足した部分で再構築して上映されたという曰くつきの作品。

ラストの、河原の原っぱでの銃撃シーンは明らかに撮り足した部分だとわかる(洞口依子の髪が伸びてパーマがかかってる)んですけど、他がどこなのかよくわかりませんでした。 舞台は学芸大なんだそうで、朽ち果てそうなところで必要最低限の出演者で延々とストーリーが進みます。 ん?ストーリーは進んでいるのか進んでいないのか実のところよくわかっていないけど。

映画は、あらすじが1行で済んじゃいそうなものがよくありますけれども、それをどうやって肉付けしていくかで随分と化けるものもありますし、その逆もありますけれど、そもそも肉付けせず、全然違うものを強引に側に置いて放置しちゃうっていう乱暴なパターンもありまして、これはどうやらそれのよう。

基本的に長回し。 唐突に入る様々な手法・・・哲学的なのかなんなのかわからない台詞や、撮ったビデオを再撮影する・・・で前衛的な印象を与えますけど、わかりづらくは決してない。 むしろ理解しないで見た方がよかったり、っていう大変な映画であります。 突然ミュージカル調になったり。

そういう映画ですので個人的にはオススメするんですけど一般的には全然オススメしない。 ラストシーンの無理矢理な展開なんて目を覆うほどですけど、もう最高にあぁいうの、好きなんだよなぁ・・・。

あ!ゴダールね!そうかそうか。 でもゴダールを知らないで見た方がいいと思いますよ。