靖国 YASUKUNI

ドキュメンタリーに対して「記録」または「演出」というタームをどのように捉えるかは、それを観るにあたって非常に大事なところでありまして、これについては以前も書きましたけれども、少なくとも「記録」だ「演出」だの前後に「真実」について触れる事が無いのが胆なのかも知れない、とこの映画を観て感じました。

真実が無い、と申し上げているのではありません。

流石に最早金にならないとみたのか、マスコミ他では全然採り上げられなくなり、となると映画館に行ってもガラガラ状態でリラックスして観られるのではないかと期待しつつ渋谷くんだりまで行ってみましたら、案の定ガラガラで、席群のど真ん中で観賞した次第です。

それにしても観終わってから公式サイトを見たんだけど、

本公式サイト「解説」ページで靖国神社の御神体は「刀」であると記載していますが、靖国神社より靖国神社の御神体は「神剣及び神鏡」であるので訂正して欲しいとの申し入れがありました。
本公式サイト及び宣伝用チラシ、公式パンフレットで御神体が 「刀」であると記載したのは映画「靖国 YASUKUNI」の製作会社である有限会社龍影の見解によるものです。

って書いてあって、心底ウンザリというかゲンナリというかガッカリさせられちゃったんですよ。

訂正の申し入れは無視して製作会社の「見解」だと妙竹林な言い訳をされちゃうと、じゃぁどうなんだと。 御神体がどうこうっていうのは映画自体には関わりの無い事なのかと、製作会社の「見解」を代弁しただけで終わらせちゃって良い話なのかと。 なんかあんまり客の事は考えていないんだなぁって感じでなぁ。

ドキュメンタリーは、そこに存在する真実を記録するものではありますが、元来そこには演出が入り込んではならないもの。 ですがしかし、演出の入り込まないドキュメンタリーは存在しない訳でして、ミニマルな例えで言えば、そこらにカメラを置いて撮影しっ放しにしたとしても、それは真実のみを記録しているのではなく、そこにカメラを置いて撮影したという演出が介在しているのであります。

であれば、いわんやこの映画をや。

この映画をドキュメンタリー映画とするのは些か乱暴でありましょう。 明らかな演出効果を狙ったドキュメンタリー「風」映画・フィルムであり、それ以上でもそれ以下でもなく、この唯一の重要な点を外して考えてしまうので妙な事になってしまうのだろうと私は思いました。

ですので、「親日」であったり「反日」であったり、これは冗談だと思うけど「愛日」映画だ云々というのは、この映画を生粋のドキュメンタリー映画として評価してしまった証左に他ならず、本来であればこの映画は、演出効果を十二分に発揮したドキュメンタリー風(ドキュメンタリーの手法を駆使した)映画だとされるべきです。

それでなければラストの手抜きとも思える展開を以て象徴的で、この映画はバランスがあまり良くなく(もっと言えばサウンドプロダクションも生煮え状態)、本来のドキュメンタリー映画で起こり得るであろう起伏の無さを除外視した上で評価するところ、ただただ靖国神社をナレーション無しで映し出すだけのものではないのは、1回でも観れば充分に理解出来るし、観終わって、はたして映画館まで行って観るものかと、DVDでいいんじゃないか?って思わせる位の、映画そのものの程度でした。

もっと淡々としたところにある映画かと期待してました。 「*日」というのを超越した映画なのかと期待していました。 が、正直そういう次元の映画ではなかったので期待外れっていうところでしょうか。

ドキュメンタリー映画だったら良かったのになぁ。