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現代思想 2007年10月臨時増刊号 総特集=ドキュメンタリー

delicious はてな この記事をクリップ! | 2007年11月13日20:44 | 編集

現代思想 2007年10月臨時増刊号 総特集=ドキュメンタリー.

 何はともあれ素晴らしい表紙。

やっと読了したのですが、そういうのも読み応えがあったからでして、読んで得るものが沢山あったようにも思います。 あ、私こっち関係の関係者じゃないので、これでもってドキュメンタリーフィルムを作るぞー!とかそういう意味での「得るもの」ではありませんです。

ドキュメンタリーという力強い言葉は、その背景に真実であったり記録という意味合いを持つ故なのではありましょうけれども、最初の映画が工場から工員が出てくるという「ドキュメンタリー」に対して、その次の映画では早くも「演出」が登場した事から見ても、逆にドキュメンタリーと演出は密接なのであり、フィルムに収めるという行動はその瞬間瞬間で演出を伴って行われる事を、観る側は常に意識しなければなりません。

ただ問題視するべきは、この演出という言葉なり行為の捉え方です。

ドキュメンタリーに於いて意図しない演出は意図した演出に比較出来るのかという論題は、その逆も含めて不毛であり、演出そのものの「差」は評価に値しないでしょう。 評価はそれらを含めて全て記録の前ではなく後になされるからであります。 詰まり観る側の我々は演出そのものを評価するのではなくて、演出が行われた結果の映像を評価するのです。

であれば、為される演出について「露骨」だの「なるべくしてなる」だののような評価は無意味になってしまうのではないでしょうか。 露骨である場合、それは演出手法云々ではなくて、それを受けた我々の意識に係るだけであり、それを過剰に意識するのか特別視せずにスルーしてしまうのか人それぞれであるので、或る一人の意識がそのドキュメンタリーを総括出来るものではなくなってしまうようにも思えてきます。

常にドキュメンタリーは演出を伴う以上(撮りっ放しであれそれは「そこにカメラを置いといて放置しておく」という演出が為されます)、それが真実をありのままに映し出す装置ではないというのは今や、驚くべき事ではありませんし、その意識の氷解をこの現代思想の臨時増刊号で見出す事は重要なのではないかと思います。

それはこの9月に飛び降り自殺をした映画監督である佐藤真の、一番最初に収録されている小文「ドキュメンタリーもフィクションである」で総括されております。 非常に興味深い一文であります。




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