挨拶出来ない(=挨拶出来ない)←同じ
意識が主観だと痛感したのは、こないだ「挨拶も出来ない奴」云々って書いたら(そう思ったから書いたんですけど)、挨拶の出来ない大人がプライベートでも仕事でも噴出しちゃって困ったからであります。 ...そう思うと、そういう人が寄ってくるのかしら。
面白い人...例えば駄洒落のうまい人を「面白い人」とする。 でもその人が挨拶も出来ないのであったら「面白く」も無いし、良い人でも無い。 という話です。 逆に、面白い事が言えなくても挨拶が出来れば取り敢えずは話になるんであって、幾ら話し上手でも、挨拶が出来なければ話にならないってんです。
そういう人、営業職に多い(笑)。
私は(多分このサイトを読んでる人は殆ど知ってる筈ですけど)仮面鬱で、一番悪化しやすい鬱(鬱になっても我慢して鬱じゃないフリをしているかららしい)なんだそうですけども、今思い返してみると、やっぱり人間関係が鬱の原因であったのは明白で、特に挨拶の出来ない奴に対するストレスっていうのが...一番最初に思い出せるんですよ。
最近一寸精神的に疲れてて、何かヤバいんですよ。
んで、このまま鬱になるのはヤなんですよ、バカっぽくて。 鬱病の人を馬鹿にしているんではなくて、挨拶出来ない奴へのストレスを鬱病に結びつけてしまう私がバカだと申し上げてます。
...。 もうヤになった。 「もうヤになった」と言わせて貰うです。 挨拶出来ない奴とはもう付き合わない。 無理に話をして鬱入っちゃう位だったら、多少金銭的に損をしても付き合わない。
私が鬱になったら、可哀想なのはやっぱり私自身だが、次に可哀想なのはアカネです。
それがヤなんです。




