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赤線跡を歩く—消えゆく夢の街を訪ねて

delicious はてな この記事をクリップ! | 2006年02月26日19:34 | 編集

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公娼制度の廃止に伴い、戦後間もない昭和21年頃から形成された赤線地帯。そこでは鮮やかなタイルと色ガラス、入口にホールのある独特の様式が生まれ、カフェー調の店が全国の盛り場で流行した。昭和33年の廃止後、アパートや旅館、町工場などに姿を変えて余生を送ってきたそれらの建物も、半世紀が経過し風化が進む。戦後の都市空間を彩った建築物とわずかに残る街並みを記録した貴重な写真集。

 そう、写真集として本当に貴重な資料であり得るのが、こういう建物が今や老朽化し、又は他の様々な理由で建て壊されているからだと言えます。 また、この書籍には図版だけではなく、その町の(勿論色町としての)生い立ちについて非常にコンパクトながら読み応えのあるテキストが添えられており、総体的に素晴らしい。 今一番読みたい本が同じ著者の「消えた赤線放浪記 その色町の今は...」である事を付記します。

個人的な話ですが、私の生まれは東京都足立区でして、最寄りの駅は(遠いけど)梅島駅、東武伊勢崎線であります。 となると自然、「初めての電車による遠出」は浅草となり、元気一杯な小学生であった当時の私としては、浅草寺や仲見世だけではなく、あちこちによくもまぁ歩いたものでして、当時は意識もしなかったのですけれど、普通に三ノ輪の方まで抜けて、日比谷線で帰宅したりしたものですから、思いっきり吉原の跡地あたりをだらだらと、そして横道に入っちゃぁこちゃこちゃ歩いた筈で、そう言えばこの写真集に載っているような建物を、見た。



そんな風に考えると、浅草の手前の鐘ヶ淵から曳舟あたりまで、途中下車してふらり旅するんだったと。 でも当時の曳舟とか業平橋って、小学生が下車してはならない町の雰囲気で(色町だったというのではなく、何となく薄暗い怖さがあったんです!)、地味な感じでまさか下車しようだなんて思いもしなかったんです。 あぁ、色町はさておき鐘ヶ淵なんて絶対に下車して歩いてみるんだったよ。 だって後年、剣客商売を読み漁ったんですから。 あぁ。

なんて、そんな思い出が甦っちゃうけですけども、無論赤線なんて私の生まれるとっくの昔に廃止になってて、色町そのもの空気は知らないんです。 でも残り香みたいなものは建物として確かに残ってました。 小学生の私はそれを気付かなかっただけで、あぁいうウルトラモダンな建物はあまりに普通に残ってました。

後年結構意識して歩いたのは北千住。 この頃私は小菅に住んでいたので、隣駅ですから結構まめに歩いたものです。 当時すごくお金が無くて、その割りには時間があったので、散歩とか、または自転車で(千住)新橋を渡って、土手のところで「クルリ」と旋回して土手下に落ち着いて、たらたらと裏道から駅まで行ってみたり。

大昔の江戸時代にあった飯盛旅籠の匂いはもう全く無かった...それでもやけにモダンな建物はあったんです。 なんでこんなにも無闇にタイルを使うのかな、とか、なんでこんなに唐突に玄関先に大きな丸い柱があるのかな、とか...回転窓もあったような...ドアが何故か「床屋さん」っぽかったりとか...。

もう千住なんて何年も行ってないけど、駅前は相当に変わっちゃったそうですし、近隣も相当変わっちゃったんだろうな。


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