ゼロ・デイ
コロンバインのDQNが起こした高校銃撃事件をモチーフにしたこういう体裁の映画作品には他に「エレファント」があります。 「映画作品」としての出来栄えを問うならば断然「エレファント」なんですけども、ドキュメンタリータッチでその生々さを味わうのであればこの「ゼロ・デイ」をおすすめします。
1999年に起きたアメリカ・コロンバイン高校銃乱射事件をモチーフに、2人の少年が狂気に走っていく様子を事実に基づきドキュメンタリータッチで描いた作品。
この「狂気に走っていく」という表現はどうかと個人的にですが思いました。 彼らは本当に狂っていたのか、それを見極める事が出来ない。 世の中が既に狂っている場合、世の中が狂っていない時の一般人は狂っている。 と、そんな逆説的な事を考えたのでありました。 それが銃社会という発端を得て起こりえた事件だったのではないかと考えたからであります。 銃社会というのは発端であり、その背後には既に狂気が世界を蔓延っていたのではないか、という解釈です。 狂気の集団の中に居る狂人は狂人ではない、という...
この作品の内容はドキュメンタリータッチであります。 犯人2人が事件発生までの間をビデオで撮影している、という設定で、主観の極致をいく生々しさが怖い。 当日、ビデオカメラを車中に置き、学校に向かう犯人達ですが、その有様をビデオカメラが撮影しております。 これまで犯人という撮影者を以て撮影されていた受動的立場のカメラは、その任を解かれたのではありますけれども、逆に今度は能動的に犯人らを映さざるを得なくなります。 その静けさは無論狂気のピークを効果的に表し、また、事件そのものは学校の防犯ビデオによってその状況を我々に提示します。 このカメラというモチーフに対しての「主人」が移相する事でこの作品でのタッチは完成します。 その不安定な恐怖が完成するのです。 撮影者を失った犯人のカメラは学校の防犯カメラにその任を移し、防犯カメラはその冷酷な迄の客観性を以て犯人そして逃げ惑う被害者を撮影します。 そして最後に映し出されたのは自害する犯人なのです。
一瞬本物かと思うほどに緊張感が意識をこぼれ出す事でしょう。




- link -