新右翼ー民族派の歴史と現在
「こういう本も珍しい。1988年2月に初版を出して、17年になるが、4年おき位に増補版を出している。「新右翼」運動そのものが生きて動いているからだ。本も成長し、どんどん頁も増えていく。増補の書き下し、資料、年表の追加で、今や初版の倍近いのではないか。そして、僕が書き続けている本、というだけでなく、右翼運動の「資料」になっている。……これからも、自分のライフワークとして書き続けていきたいと思う。」(改訂増補版「あとがき」より)
と彩流社で検索すれば情報を引き出せ、且つ注文可能。 ですのでなんでアマゾンのユーズドで3980円で出品されているのか全然理解出来ず、幾つかの古本屋で見てみましたが、1000円前後で売られていたのが妥当なんじゃないかと私は思いました。 決してそれがこの書籍の価値を下げる為の事で無い旨をご承知願いたいのではありますが。 要するにアマゾンのユーズドは時としてとんでもない価格になっているので注意したい、という話です。
ところでこの書籍、私が持っているのは初刷らしいので増補部分については知りません。 かえってそれがこの書籍の、初めて公の場に出された時のテンションを感じ取れる結果になっているので良いのではないか(と書きつつ勿論俺だって増補版を買い足したいぜ、とか思ってる)。
第1章 新右翼私史
第2章 新右翼と新左翼
第3章 新右翼の天皇観
第4章 新右翼の現在
増補 昭和の終わりと平成時代の民族派運動
資料篇(三島事件
経団連襲撃事件
神戸米国領事館たいまつ投込み事件
朝日新聞東京本社発砲事件 ほか)
対談・反共右翼からの脱却(野村秋介・鈴木邦男)
新右翼運動関係年表
(アマゾンより)
こういう内容でありますので、『右翼運動の「資料」』になっているかは知りませんけれど、少なくとも「新右翼運動の資料」になっている事だけは確かですし、無論ここに溢れた部分もありましょうが、それは別の資料を紐解けよ、って事で済みます。
前にも書きましたが私は鈴木邦男さんの文体が嫌いです。 それが何故なのかを告白するのも良いのですが、その前にこの本の出来映え、或いは鈴木さんの文章の巧さを評価しなければならないでしょう。 右翼(や左翼)に多い、専門用語ゴッチャリの「何語?」状態な文章ではなく、平易文体でありますので非常に読みやすい。 且つ鈴木さんの軽妙な文章テンポが読みやすさを加速されてます。 詰まり、私は鈴木さんの文体が好きなのではありますが、悔しいので嫌いだと言っているに過ぎないのです。 ついつい読んでしまう中毒性を持った平易な文体、こういう風に文が書ければなぁ、と私は常々思っているのであります。 私と同年代の知人は「SPA!」の連載で新右翼に興味を持ち始めた向きが多い。 そんな魅力を持った文章なのであります。
が、この書籍については所謂「右翼臭さ」が出ていて興味深いところ。 この書籍が最初に発刊されたのが昭和の最後の方なので、天皇陛下と言えばここでは昭和天皇を言うのでしょうけれども、その持ち上げ方が露骨に右翼らしく、一寸引いてしまうのと共に、例の文体からウィット感がこそげ落ちているのに気付かされます。 気付かされると申しますか、頬をひっぱたかれたかのように気付かされます。 私は右翼的主張を全く否定はしませんのでニュートラル、或いは贔屓目に読んでおったのですが、そんな私でも正直引いた。
それと、丁度良い機会なので疑問を書きます。 良く天皇陛下についての議論というのがあって、そこでは勿論天皇陛下について議論が交わされ、その聖性(この言葉は素敵)について語られる次元では、他の皇族の方々は一体どのようなポジションにおられるのか。 陛下と同じなのか、それとも下なのか。 聖性については天皇陛下と他の皇族の方々とで差があるのか。 また、当時皇太子殿下であられた明仁天皇陛下の聖性の推移と申しましょうか、皇太子殿下であられた頃と天皇陛下であられる現在とで聖性に差があるのか、あるなら何故なのか、無いのであれば他の皇族の方々と「天皇陛下」とは差があるのか。 或いは又、そういう詮議は不敬なのか。
という部分について増補部分でふれられているのであれば、是非この書籍を買い改めたいところなのです。
第1章 新右翼私史
第2章 新右翼と新左翼
第3章 新右翼の天皇観
第4章 新右翼の現在
増 補 昭和の終わりと平成時代の民族派運動
新増補 野村秋介・出会いと別れ
改訂増補 9・11同時多発テロ以降の新右翼運動
資料編
対談・反共右翼からの脱却 野村秋介/鈴木邦男
改訂増補・新右翼運動関係年表
(彩流社より)
残念ながら無さそうだ。





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