一柳慧作曲オペラ横尾忠則を歌う
やっと発売された「一柳慧作曲オペラ横尾忠則を歌う」が入荷されましたので早速聴いてます。 やっと発売された...延期延期でやきもきしたけど、やっと聴く事が出来ました。
「青森のバス・ガールの歌う子守唄からはじまって、電子音の間ケツする中を、軍歌、横尾が女風呂で歌ったという「男の純情」、優秀なグループ・サウンズ"ザ・フラワーズ"の演奏、堀部安兵衛の段の語り、水虫のCMソング、お宮貫一の掛け合い、ニューヨークの教会の鐘の音とバッハ、飛行機の爆撃音、戦時中のニュース、愛染かつら、東京音頭、水城一狼による網走番外地の替え歌、原爆投下のニュース・・・」(当時の解説から)などの音が洪水のように押し寄せてくる。
全曲白眉なのが本当に笑えてしまいますけれども、矢張り「男の純情」はすごい実況作品だと思われます(本当に女風呂で録音されたのであれば、ですが、そうじゃなくてもコンセプトとしては型破り)。 アートワークがLPジャケ起こしじゃないけど、音源はLP起こしらしくてナイス。
ハプニングが記録された時にそのハプニング性がどのように捉えられるかは、受け取り側のセットとセッティングに因るところが大きく、また最近何度も呪文のように書いてますけれども、この受け取り側の問題がその対象となる作品の価値を高める或いは別次元から持ち上げる唯一の要素だと仮定した場合に考え得る事は、最早作品は記録されたりリリースされた時点で送り手側の手を軽やかに離れ、直後に不安定によろめき始めるしか無く、後は受け取り側の手に委ねられるという至極単純な図式です。
ですから、この作品をどんな風に評価されるかは、現代の様なインターネット社会においてはその書き手(評論する物達)の拡散化が最低限の前提となりますから、通り一遍なものから極北なものまで取りそろえられる事でしょうし、良く言えば「ダイナミック」です。
現代のように考えられたり体現出来る全てのカテゴリーが出尽くされたとされる時代に於いても、この作品の過剰な前衛さは光り輝き、統一主義的展開を好む評価の集中が良しとされる安易な傾向を一般とするならば、一般的ではない理由は統一性の無さです。 しかしながらこういった作風においては統一云々は箸にも棒にも掛からないような事でして、レビューの如く「音の洪水」が(垂れ流されるのではなく)瀑布ではない流れを保つ点において評価されます。 即ち大河が持つその流れが、量に於いてその懐の深さを示し、抱え込まれた音の粒それぞれは比類無き異様な安定感の基に、何とも優雅な存在を聴き手の耳元に注ぎ込みます。 だから...評価とかそういうレベルの音源じゃありません、って話です。 も〜私は感動しちゃってしょうがありません。 買って良かったです。 家宝にします。
「高倉健、横尾忠則を歌う」というラストの曲は必聴です。 腰が抜けました、そして爆笑。 これはシングルを切るべきだと思いますし、ひょっとしたら売れるんじゃないかと思います。 そして誰かサントラに使わないかな〜って思ってみたり。




