(Y)最後の警告
時軸と言うものは、何を基点として言うのか。 例えばそんな命題があった時に、私は答えられない。 何故ならば、その命題が発せられた刹那と、それを評価(再評価)される刹那とは余りの「時軸」的開きがあることを私が知っているからです。 そこには当然主観的基点は存在しているものの、そこに甘んじているのであれば毒が溢れないものの、要は毒を溢れさせたい面の向きと、それを受け「入れたい」面の向きが、ある線上にて合致していた結果を(再)評価時点で再点検しているだけで、その実「再評価」というものは今や新しい解釈で語るのであるのならば、この辺りのプロセスを軽薄に払拭した上での行為であるとは言えましょう。
ここに幾つかの罠がある事を、私はこのThe Pop Group(ポップ・グループ)の1stをば聴いた時に感じ取った次第です。
ファンクではありますが、パンクでもダブでもレゲェでも無い、とても中途半端で、インダストリアルに迎え入れられなかった奇跡の狭間に辛うじて存在していたグループだと総括せざるを得ませんが、取り直しファンキー的要素に帰結しているのかを点検するのは、ヤだな〜。
追記:このエントリーは前後不覚を超越した泥酔状態で記されました。





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