復讐するは我にあり
ここには、犯罪の出発から終結までの全てがある。昭和38年秋、福岡で起こった殺人事件の容疑者は、犯罪史上空前の捜査網をかいくぐり、詐欺と殺人を重ねつつ、広島--静岡--東京--千葉--福島--北海道と逃げ廻った。78日間の逃避行の末、熊本で10歳の少女に正体を見破られて逮捕され、刑場に消えた。
だからと言えタイトルを「復讐するは我にあり」とするのが、先ず「ロマ書12.19」から引用した
「愛する者よ、自ら復讐するな。 ただ神の怒に任せまつれ。 録して『主いい給う。 復讐するは我にあり。 我これを報いん』とあり」
(1977年9月5日第18刷の講談社発刊より引用)と、どのような関係にあるのか全く理解出来ませんでした。 それともこれはその前の「ただ神の怒に任せまつれ」に「係る」伏線なのか。 タイトルは見事ですが、読了してその内容との関連性を鑑みるにちぐはぐさを先ずは感ずるところであります。
「復讐するは我にあり」という文言が、扉にある「主いい給う」を以て前後関係を含めた意味と為す時点で既にこの連続殺人事件の犯人の存在を無視してはいないだろうかと私は問うと共に、それでは「復讐するは我にあり」というタイトルを著者は読者に「どの時点で」解釈させようとしたのだろうか、私には結局解らず、ただただ興味深く通して一気に読めた著者の力量とは別に心に引っ掛かる何かを残したのではあります。
佐木さんの著作は幾つか読んでその文章力に影響されまくったものですが、事タイトル付けに関してはその域を事に為ざるを得ない今日この頃です。
但し、この半フィクションは読むに足りるところだと名言しなくてはならないでしょう(読んでて暗鬱にはなりますが)。
余談:「20世紀の記憶」なる毎日ムックに関連記事が見開きにて有り。




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