何故にiTunesを「隠す」か
先に書いちゃいますと、Dockからメニュー出せばあれこれ作業出来ますよ!って事です。
さておき、
先日書いたiTunesのビジュアルプラグインについてのエントリーで私は、iTunesのビジュアルプラグインのエントリーであるにも関わらず冒頭で無謀にも
私は普段iTunesのビジュアルプラグインを使わず、更に言えばiTunesで音楽を聴く事はあるものの、iTunesを表示している事は稀です。 つか、普段は「隠して」ます。
って書きました。
それを餌に、こないだチャットで「そういう枕って・・・」って問われてしまい、あれこれと苦し紛れに弁解したものです。
同じ事を思った方に向けてワールドワイドにインターナショナルに(日本語で)弁解し直そうと思います。 あんな事書いてゴメン。 でも「隠して」ます。 うへへへへ。
閑話休題。
Mac OS Xのウインドウというオブジェクトの管理については、今や同等の事をMac OS9で行わないところでありますが、これは言うなれば「それぞれのOSの特性に見合った使い方」をしているに過ぎず、あれこれとユーティリティーをブチ込んで柔和を図るのが果たしてトータル的に鑑みて良いのか悪いのかという命題があるかと思われます。 「良い」という向きに私は異を唱えるところであります。 しかしながら重要なのは、私が唱えた「異」は私が使う自分のパソコンに対しての論であり、それを他に押し付けるところではありません。 だってカスタマイズって楽しいものね。
ガンガンとカスタマイズっていうかユーティリティーをインストールして楽しんで欲しいと思いますし、もしシステムに不具合が生じた時は自己責任で解決の糸口を見出して戴きたいですし、そんな無茶なパソコンの使い方が他方では「パソコンを使いこなす」力になるのではないでしょうか。 普通はシステムを意図的に不安定にさせる事をば人は教えませんけれども、トラブルに遭遇した人は逆説的な物言いであれば「そういうのを先に言ってくれれば!」と叫ばざるを得ないところでありましょうし、大体においてトラブルに遭った時ってそんな精神状態なんですよね。
それはそうと、Mac OS Xのウインドウ管理は、Mac OS X 10.3で導入された機能「Exposé」の功績を無視する事が出来ません。 アカネのマックはいまだにMac OS X 10.2ベースなんですけども、私は「なんでこのマックってExposéが使えないですかー!?」って毎回叫びます。 その位に重箱の隅をつつく機能だということです。
しかしながら私は思いますに、こういった新機能はそれまでのシステムが如何にクソだったかを言い表すのに最適でありますし、その新機能が素晴らしく機能的であればある程に従来のシステムが機能的では無かったかを露呈する(左翼的な言い方だと「バクロする」)ところではないでしょうか。
だから私は素直に「Exposé」を評価出来ないのではあります。
且つ、
Mac OS X PublicBetaが出た時に言われたのが「pxm# 231」の存在意義であります。 このキーワードは、Mac OS Xのアピアランスの根幹を為すファイル「Extras.rsrc」の中のデータの一つなのでありますが、他聞に漏れずこのデータにも名前がありまして、即ち
WindowSingleWindowMode
だったりしてます。
とりあえずは常駐アプリケーションは、使わない時は「隠し」ておけば今後どんなシステムが提示されようと安泰なのでは無いかと思った訳なのです。 「新機能」に囚われず、「従来」の機能で出来る事で作業の出来得る部分をこなすようにしようと。
そうじゃなければ、一体全体システムに使われているのかシステムを使っているのか、それともシステムの新機能に振り回されて前述すらすっ飛んじゃっているのか不明になってしまいます。
だから私はiTunesを「隠し」、Dock経由でiTunesを使っているのであります。




