「女囚さそり けもの部屋」 と 「女囚さそり 701号怨み節」
(2003/07/21頃、前サイトで書いたもの)
「なんで時代は今、梶芽衣子じゃないんですか? も〜(号泣)」
アカネと観ました。 それと、詳しい解説は最低映画館さんを参照してちょ。
3作目では李礼仙が「らしい」演技をしてくれまして、これを見てゲラゲラ笑うもよし。 番外編とも言える4作目では田村正和がキレの無い演技をしてくれまして、これを見て失笑するもよし、です。
さて、先日(つーか一昨日)怒濤のテンションで爆走した前2作とは大幅に異なり、またそれは3作目の冒頭で伝説的なアナーキーさを見せつける事で多少溜飲を下げるところなのではありましたが、この「1/2」と「3/4」の私の個人的なインターバルは、力任せに裏目に出てしまいました。 今、泡盛でヤケ酒状態です。
しかしながら映画としては、或る程度全うな映画としては本日観た2作の方が秀でております。
しかしながら映画として観て良い映画なのか。 いやそれはない。 有り得ません。
アカネと観た事は既に述べましたけれども、本日テレビの前でツッコミ入れまくりでした。 「普通のB級映画なんじゃない?」 「あ〜!オチ見えちゃったよぉぉぉ!」 「相変わらず喋らないなぁ」 「田村正和も喋らねぇぇぇ!」 等々。
私にとっての「女囚さそり」は、他の映画の追随を許さないと共に、ツッコミのタイミングを許さないブッ壊れた、ナウでヤングな映画(但し寸止)なのであります。 なのに、3作目では一気にテンションが下がり、あまっさえ番外編の4作目では、映画になってしまってます。
いや、笑えるんだけど感心はしなかったんです。
やはり「さそり」は最初の2作が「さそり」なのだと言えましょう。 つーかそうなんだよ! そうに違いないし、事実そうなんだよ! と、私はここではっきりさせて頂きます。 はぁはぁ。
気を取り直して、テンションで言えば1>2>3>4なのですが、映画としては4>3>2>1だという結論となります。 初めて見る人には私は、3→1→2と一気にオススメし、4は1ヶ月位経ってから「こんなの発見したよ〜」とし別物として見せます。 いや、私がそうしたかっただけなのですけども。
「女囚さそり」それは梶芽衣子(=さそり)の台詞が極端に少ない事がその特徴を如実に表していると言えましょう。 となりますと、他でベラベラ喋ってる人の力量が問われもし、それが映画と申しますか「女囚さそり」の完成度を左右するに他なりません。
ですから田村正和は相変わらず何喋ってるんだかわかんねーのでありまして、4作目は珍作となってしまってます。 それよりも、梶芽衣子の数少ない台詞回しはその美貌(ときたもんだ)から発せられる麗しい(ときたもんだ)お声を拝聴したいが為にスピーカーに耳をそばたたせす事を許しますし、他の役者はしっかり台詞を発生しまくりですし音響は無闇に印象的(=音がデカいし無駄な意表を突くし)ですし渡辺文雄は存在感たっぷりという仮面をかぶったナイスな鬼畜郷田所長ですし細川俊之は結構好きです(語り口説き系エロオヤジ然なので)。
なのに...なのに田村正和は、「梶芽衣子が今も昔も艶めかしく、4作目なんて梶芽衣子が出ているシーンだけ繋げば『最近の映画っす』と騙しても通じちゃう」事よろしく、「田村正和は今も昔も悪い意味でかわんねーな!」であり、もうブチ壊しでありますから、4作目を語れば、映画としては珍作、サントラは秀逸、「さそり」としては駄作と結果付けられます。
でも、笑いは十分取れます。
余談ですが、4作目の重要な観方というのを発見しました。 「梶芽衣子&田村正和」は、中途半端に「柴咲コウ&キムタク」であります。 また、懺悔がてら但し書きを最後に書かせて下さい。
「コントとして」
付記:梶芽衣子出演作品
後記:
ワタシ:「女囚さそり、ってどうだった?」
アカネ:「おもしろかった!」
ワタシ:「どんなふうに?」
アカネ:「さそりガンバレっ!って感じ」
4作もあると、その「見せる順番」ってーのが重要と相成ります。 お後が宜しいようで。




